戦後における性風俗の歴史

以前と比べて、男女の貞操観念は変化してきていますが、それを取り巻く環境も大きく変化をしてきています。
特に性風俗に関しては、時代とともに大きく変化をしてきておりますので、ここでは性風俗の変化について見ていきましょう。

戦後、売春があった時代
第二次世界大戦後、GHQの占領下にあった日本では、それまであった公娼制度が廃止されました。
しかし、公娼制度こそ廃止されたものの、その跡地で行われていた売春行為に関しては、取り締まりの対象とはなりませんでした。
フランスでは、売春に伴う強引な客引きこそ禁止されているものの、売春行為そのものはあくまでも「自由恋愛の結果」として解釈され、禁止の対象とはなっていません。
フランスと同じような状況が、戦後の日本でもあったわけです。
しかし、日本がGHQの占領下状態から解放されて国連に加盟をするためには、売春の禁止が条件となっていました。
そのため、1956年に売春防止法が制定、1958年に施行されて売春は禁止となりました。

高度成長期前後の性風俗
1958年に施行された売春防止法により、行き場を失った人たちが次に集まったのが性風俗店です。
1950年代には、大衆娯楽としてストリップが人気を集めていましたが、ここではセックスは行われていませんでした。
1960年代になると、現在の「ソープランド」が誕生します。
ソープランドとは、個室内にお風呂とベッドが設置されている空間に、サービスを受ける人とソープ嬢とが一緒に入り、ソープ嬢に体を洗ってもらいながら性的サービスを受けるというものです。
投書は性行為までには及んでいませんでしtが、最終的にはセックスまで至るところも増えてきました。
一見すると売春防止法に抵触しそうですが、ソープランド側では「ソープランドは個室付き浴場を提供しているだけであり、その中で行われる行為については知らない」という理由をつけていました。
警察も、この状態を黙認していました。
そして、ソープランドと並んで活況を呈していたのが「ピンクサロン」です。
通称ピンサロと呼ばれるお店の中では、薄暗い個室内で女性が「サービス」を行なっていました。
高級化を進むソープランドよりも安価でサービスが受けられるとあって、ピンクサロンは人気を集めたのです。
この時期、海外への渡航、海外からの来日が自由となり、外国人女性(いわゆる「ジャパゆきさん」)がこのようなお店で働くようになりました。

バブル時代の性風俗
日本がバブル景気に突入する前後、商売としては「ノーパン喫茶」が流行しました。
競争の激化に伴いサービスも過激になる一方で、パンツをはかないだけという技術も覚悟も必要ない仕事により、性風俗に対するハードルがぐっと低くなり、「素人」の参入が目立つようになったのもこの時代からです。
性風俗ではないかもしれませんが、都心のラブホテルや郊外のモーテルが増加したのもこの時代です。
ノーパン喫茶の進化系といえるのが、「ファッションヘルス」です。
ファッションヘルスでは最終的に本番手前までの行為が行われ、同様の形態の性風俗サービスが増えてきたため、1985年には風営法の改正が行われ、規制が強化されました。

無店舗型性風俗の増加
風営法の強化、さらには青少年を守るための規制強化によって、店舗型性風俗店への規制も強化されます。
それに伴い誕生したのが「デリバリーヘルス」、略してデリヘルです。
デリヘルは、ファッションヘルスと同じようなことを店舗を持たずやる営業形態です。
店舗による管理が行き届かなくなることにより、性病などの衛生管理も行き届かなくなり、価格破壊によってそこで働く人の取り分も少なくなるなど、問題もあります。